2008年07月14日
宮古方言ついにグローバル化!
これは僕の幼い頃の話。
ご存知のとおり僕は右手に障害がありハワイの病院に入院していました。
日本の病院では治らないということで、ハワイに行くことになったのですが、
その病院には世界中からの子供たちが集まっていました。当時7歳です。
中国や韓国はもちろん、ベトナム、マレーシア、北朝鮮、フレンチポリネシア、
そしてニュージーランド、さらにサモア共和国。他にもたくさんありますが
このぐらいにしておきますね。

by coconut wireless"Polynesian Cultural Center"on Flickr's CC
みなさんはサモア共和国ってどこにあるかご存知ですか?意外と知られていないので
ここで触れます。ニュージーランドの北東側にあるとてもとても小さな小さな島国です。
独立も最近したばかりの国です。もちろん国民所得は決して高いとはいえません。
まぁ、ある意味その病院に来ていた子供たちの出身国はみんなどっこいどっこいの
国民所得でした。日本もそういう時代があったのです。
サモアという国は漁業で生計を立てている人が多い国と、子供ながら、
その同じ病院メイトのお母さんからききました。僕が沖縄の写真を見せると、
「私たちの国と同じね!」と言ってくれたのを覚えています。
肌の色が少し浅黒く、体型はどちらかというとドングリに爪楊枝の足をさしたような形。
まさに沖縄人の体型と同じだったのです。ほぼ同じだったのです。
なので親近感はありました。
サモアの友だちの名前は「トン」僕より2つ年上の男の子で、海にいる猛毒の
ある魚に指を引きちぎられ、その指を作るためと、指の皮膚をお腹の皮膚から
移植するという手術のためにハワイの病院にきていました。
2人とも病院生活が楽しすぎて、病状のことなんかさっぱりでした。
とある日、僕は日本から送られてきた当時ブームだった「ゲームウォッチ」と
日本のお菓子をみんなに分けながら楽しんでいました。
トンには特別に日本からの特性お菓子をプレゼントしました。
やっぱり特別な友だちにはね。贈り物をしたいじゃないですか!
たまたまお母さんのいる前でトンにプレゼントしました。
すると!トンのお母さんがいきなり!
「タンディガータンディ」(宮古島の方言で「ありがとう」の意味)
というではないですか!!!
意味が全く分からなかった僕は、走ってその場を走り去ろうとした時、
そのお母さんが「日本語で「Thank you」ってそういうんでしょ?」と
僕にきいたのです!当時の僕には宮古方言は難しすぎました。笑
僕はやっぱり走り去りました。笑
あとで僕の母親がトンのお母さんから聞いた話だと、昔々、沖縄の宮古島の
漁師が南太平洋のサモア近海まで来て遠洋漁業をしに来ていたときに、
宮古島の人に会い、その言葉を習ったそうなのです。
しかもサモアには結構、宮古方言を話せる人がいるというではないですか?
宮古の人と結婚するサモアの人もいたそうです。
島国は海を通して繋がっていたんです。
サモア人お母さんの「タンディガータンディ」にはびっくりしました。
っていうかペラペラだったんです。
まさか宮古方言がグローバルに使われていたなんて!
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ご存知のとおり僕は右手に障害がありハワイの病院に入院していました。
日本の病院では治らないということで、ハワイに行くことになったのですが、
その病院には世界中からの子供たちが集まっていました。当時7歳です。
中国や韓国はもちろん、ベトナム、マレーシア、北朝鮮、フレンチポリネシア、
そしてニュージーランド、さらにサモア共和国。他にもたくさんありますが
このぐらいにしておきますね。

by coconut wireless"Polynesian Cultural Center"on Flickr's CC
みなさんはサモア共和国ってどこにあるかご存知ですか?意外と知られていないので
ここで触れます。ニュージーランドの北東側にあるとてもとても小さな小さな島国です。
独立も最近したばかりの国です。もちろん国民所得は決して高いとはいえません。
まぁ、ある意味その病院に来ていた子供たちの出身国はみんなどっこいどっこいの
国民所得でした。日本もそういう時代があったのです。
サモアという国は漁業で生計を立てている人が多い国と、子供ながら、
その同じ病院メイトのお母さんからききました。僕が沖縄の写真を見せると、
「私たちの国と同じね!」と言ってくれたのを覚えています。
肌の色が少し浅黒く、体型はどちらかというとドングリに爪楊枝の足をさしたような形。
まさに沖縄人の体型と同じだったのです。ほぼ同じだったのです。
なので親近感はありました。
サモアの友だちの名前は「トン」僕より2つ年上の男の子で、海にいる猛毒の
ある魚に指を引きちぎられ、その指を作るためと、指の皮膚をお腹の皮膚から
移植するという手術のためにハワイの病院にきていました。
2人とも病院生活が楽しすぎて、病状のことなんかさっぱりでした。
とある日、僕は日本から送られてきた当時ブームだった「ゲームウォッチ」と
日本のお菓子をみんなに分けながら楽しんでいました。
トンには特別に日本からの特性お菓子をプレゼントしました。
やっぱり特別な友だちにはね。贈り物をしたいじゃないですか!
たまたまお母さんのいる前でトンにプレゼントしました。
すると!トンのお母さんがいきなり!
「タンディガータンディ」(宮古島の方言で「ありがとう」の意味)
というではないですか!!!
意味が全く分からなかった僕は、走ってその場を走り去ろうとした時、
そのお母さんが「日本語で「Thank you」ってそういうんでしょ?」と
僕にきいたのです!当時の僕には宮古方言は難しすぎました。笑
僕はやっぱり走り去りました。笑
あとで僕の母親がトンのお母さんから聞いた話だと、昔々、沖縄の宮古島の
漁師が南太平洋のサモア近海まで来て遠洋漁業をしに来ていたときに、
宮古島の人に会い、その言葉を習ったそうなのです。
しかもサモアには結構、宮古方言を話せる人がいるというではないですか?
宮古の人と結婚するサモアの人もいたそうです。
島国は海を通して繋がっていたんです。
サモア人お母さんの「タンディガータンディ」にはびっくりしました。
っていうかペラペラだったんです。
まさか宮古方言がグローバルに使われていたなんて!
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Posted by 「地球一周の旅プロジェクト」 沖縄 主宰 : 松川 守 at 07:00
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